慰安婦とは…国際大学オープンセミナーに出席

国際大学の看板
雄大なスケールの中に校舎が

信田研究所長と熊谷講師

講演する熊谷講師

日本が誠意を持ってと言っても国際社会から認証されていない。





























































































このオープンセミナーで感じたことは、日本が誠意と言って見ても、相手国に理解されていなければ、外交的にはマイナスの効果だと言う現実である。
 慰安婦が従軍慰安婦に拡大解釈され、世界には「性奴隷」として宣伝されている。

現時点では反論の糸口さえ見えていない。しかも、居丈高に反論して見ても、敗戦国としての立場から国際世論から同情さえされない現実がある。国内的な意見を統一して、同情を得られる国々と連携して一歩一歩改善する以外に方法はないと熊谷講師は学問的体系の中で述べられた。

 外交的には、アジア助成基金は、対韓国に対しては、多大な国民の善意の拠出があったにもかかわらず、効果があったとは言い難い現状だと報告された。

ガン病棟の温もり・・・中島昭治氏を悼む

私達は、国鉄が高度成長し始めた昭和36年に、高校から直接採用される臨時普通科13回生として国鉄新潟支社に入社した。
今の昭和大橋付近に木造の校舎があった。入社が決まって直後に、鉄道学園は火災で焼失し、新潟支社の建物の一部を借りての勉強であった。
私が、親友中島昭治に合ったのは、その時である。中島は六日町の五十沢からゴム長で出てきた。当時は除雪体制もなく、五十沢は豪雪地だから当然のことだった。私はお世話になった達治さんが皮靴を用意してくれたので、靴は履いていたが、どんな服装をしていたかは、思い出せない。
 二人で、専用線の線路敷きを歩きながらお互いの境遇を話し合った。

 中島は、六日町高校で陸上部に所属していた。私は長岡高校でレスリング部だった。その時の印象では、中島は均衡が取れて精悍に見えた。私はレスリングで鍛えたが、デブッチョだった。

 駅勤務の後、車掌科に進み、やがて新潟支社でも営業部に所属して親しい交流をしていた。退職後も、毎年一回、飲み会を継続してきた。

 親友小林久雄から、中島が入院したとの連絡が入った。その翌日、妻愛子を連れて、新潟のガンセンターに見舞いに行ってきた。妻愛子は左乳がん全摘の手術の手術を受けた直後で、経過がいいので、励ましの意味で連れて行った。

 7階の個室だった。中島と奥さんが迎えてくれた。苦痛そうだが、笑顔で迎える余裕があった。
 でも、すでに黄疸が出ていた。膵臓付近のガンで、周辺の異常を治療してからガンの治療をするとの説明だった。奥さんは、環境の激変に戸惑っておられた。

それから約一月。
昨日、逝去の報に接した。
今日9月5日が葬式である。
ガン病棟の緊迫した雰囲気の中で、夫婦愛の温もりを感じたことを思い出しながら、ご冥福をお祈りしたい。









 

産婦人科の減少が問題化

厚生労働省の2013年医療施設調査で分かった。

 全国7474の一般病院のうち、昨年10月時点で産婦人科や産科を掲げていたのは前年比12施設減の1375施設で、23年連続で減少が続いていることが分かった。

 厚労省の担当者は「訴訟リスクなどが敬遠されたり、少子化で出生数が減ったりしていることが背景にあるのではないか」と分析している。
 調査によると、産婦人科は1203施設、産科は172施設だった。二つを合わせた数は1991年から減り続け、99年に2千施設を、08年に1500施設を下回った。
 小児科も前年より22施設減って2680施設となり、20年連続減。
 また、13年病院報告によると、患者1人当たりの入院期間を示す指標の平均在院日数は30・6日で、前年より0・6日短くなった。
私の娘も産婦人科に通っている。子宝に早く恵まれたいと思っている。だが、新潟、長岡でも名医は少ないようである。一回の予約で20万円近くがかかるそうだ。新婚間際では経費が掛かりすぎる。その上、なかなか、いいお医者さんに巡り合えることは難しいそうだ。
少子高齢化で、子宝の育成こそ、日本の将来を確固たるものにするのだが、その基本がぐらつき始めている。

大きな病院でも医師不足が続いている。