摩擦抵抗と安全・・・抵抗がなくなると止まらない。



高所作業は危険が伴う。

道具の使い方や安全確保の知識が大切だ。





























日常生活で摩擦抵抗があるために安全について、あまり意識していない。
ここ数日をかけて屋根や庇のペンキ塗り替えをしている。
梯子での約4mの高所作業である。ワイヤブラシで錆や浮いたペンキをはぎ取る。錆留を塗る。ペンキで上塗りをする。入り組んだ作業を手順よく消化していた。

風呂場の屋根の仕上げの段階で、片足を梯子に、片足を屋根において塗っていた。仕上げ段階なので、うすめ液を多めに入れ、表面が平らになるように調合した。屋根側の足は左足で、左手にペンキ缶、右手に刷毛を持って作業する。

たった一筋のペンキが流れ出した。刷毛で分散して流れを止める。それを繰り返して3分の2まで仕上げた。左を塗り、右を塗っている最中に左足の摩擦抵抗がなくなった。気が付かないうちにペンキが流れて左足の下に入っていた。

しっかりと屋根に固定されていた靴が滑り出すと足が宙に浮く。でも姿勢を保ち、バランスを調整して安全を保っていたが。

摩擦抵抗がなくなる恐ろしさをいやというほど体験させられた。
突然左足の摩擦抵抗が全くなくなった。右足で梯子に体重を移動させたが、左足が全く効かない。体重を屋根に預けペンキ缶を何とか屋根におこうとしたが、左手も滑ってうまくゆかない。

やむを得ず、ペンキ缶をそのまま離した。ペンキの一部が顔や左胸にかかった。両手でバランスを取り、何とか両足が梯子にかかった。体が左寄りにあるため梯子が少しずつ右に動き出す。妻愛子を呼んだが、10mも離れたところで鼻歌を歌っている。
「梯子を押さえて」と鋭く叫んだ。あと15秒遅かったら、梯子とともに約4m落下したと思う。愛子がタイミングよく抑えてくれた為に、落下しないですんだ。

たった一筋のペンキの流れが、全摩擦抵抗を失わせてしまう。

摩擦抵抗のない世界は普段想像をしていないから、わかりにくいが、道路で急に氷を踏んで滑った感じである。

高所作業は、安全を確保がいかに大切かを身を持って体験させられた。

広島の豪雨で思うこと





信濃川河岸段丘の豊かな自然・守り抜きたい環境。



















誰も自分を守ろうと生きている。
裏山が土砂崩壊するなんて思っていない。
むしろ、見晴らしがいい場所が手に入ったと喜んでいたはずだ。

最近の自然は恐ろしい変化を来していると思う。
夏に雹が降る。こぶし大の雹だ。何かおかしい。
豪雨も一年分が一晩で降られたら土砂崩壊もやむなし。
人知を超える何かが変わっている。
意外と温暖化が大きな原因なんじゃないだろうか。
偏西風がどうの、潮流の変化がどうのの理屈は分からない。
地球を汚したつけが、しっぺ返しをしてるんじゃないか。
そんな思いをさせられている。

国鉄本社にいたころ、仕事で全国を旅した。
いろんな河川で白い泡が舞っていた。魚も鳥も住めない環境だ。
背骨の曲がった魚や奇形の鳥の事例が報告された。
水戸周辺で美しい海岸の松原が枯れはじめていた。
河川の汚濁は排水規制や洗剤の改良で解消されつつある。
松食い虫の被害は、未だに衰えていない。
いまだに全国で食い尽くしを続けている。
目に見えないほどの線虫のいたずらだそうだ。
防虫剤を散布して自然破壊すれば生態系全般を破壊する。
 レイチェル・カーソンのサイレント・スプリング(沈黙の春)を
地で行くこととなる。
 有吉佐和子の複合汚染で指摘された身の回りの環境汚染を確実に取り除くことも大切な生存権だ。
 
二つの事例から自然との共生を図れば、克服できる面もある。
中国の排気ガス汚染のように、垂れ流しは困る。
地球は一つだ。逃げる場所がない。
皆で自然の大切さを真剣に考えなければならない。

広島の豪雨災害を人災というのは簡単だ。
だが、その裏にある原因を突き詰めなければ、災害は克服できないと思う。


自分のことは自分で・・・DIYの精神



我家の全景、この陰に書斎兼作業場の2階建てがさらに1棟ある。





















数年前、はしご一つで我家の総ての壁を刷毛で塗装したことがある。
改良されたクレオソート的な木質防護材を使用した。
2段梯子を使ったが、最上部では恐怖感を覚える。
でも、当時の夏休みを使って、全部の壁面を塗り替えた。

塗り終えた直後の写真が上の写真である。

壁は直射日光や風雪で表面が荒れる。蜂が巣を作るため、
壁の木質部を削り取り、幾重にも筋ができている。

塗り替えで壁面が上品になった。壁材を変えられればいいが、
年金生活では二度の震災復旧もあり難しい。

その体験で、今回は、屋根の塗葬に挑戦した。
専門的には、次の作業手順を踏む必要がある。
① 錆と塗料落とし ② 錆留剤の塗布 ③ ペンキの塗布

専門店に相談したら、錆留剤とペンキが混ぜ合わせたものが出たとのこと。
これに飛びついた。作業場の庇を試してみた。素人ではあるが満足の出来栄え。
塗り斑は、あとから修正で刷毛を入れれば、塗り斑も解消される。

次に調子づいて、玄関の屋根とパネルの塗り替えに挑戦した。
屋根はチョコレート、パネルは銀ねずである。塗料のはみ出しは「うすめ液」で
取除き、一応満足に行く仕上がりになった。




















今日は、妻愛子を監視役にして、写真右側の下屋約4間の塗装に挑戦した。

ワイヤブラシで錆と塗装を剥がし、2回塗りした。




















林家こん平師匠は同級生・・・努力家

高校2年生の頃の写真


私とこん平師匠は、千谷沢小学校、千塚中学校の同期生である。
千塚中学の第7回生であった。彼と運動会の仮装大会で優勝したことがある。
尾関紅葉の金色夜叉に扮した。笠井光男がお宮で、私山﨑が貫一である。
優勝の最大の要素は、笠井の演じたお宮の歩く素振り、悲しみに泣くしぐさだ。

千塚中学卒業後、こん平さん・笠井光男さんは林家三平師匠に弟子入りした。
いや押しかけ入門に近いと本人が話していた。意志の強さを試されたのだろう。
門前払いをくって、3回目に玄関を上がることを許されたそうだ。
それから3年、掃除、荷物持ちが続き本格的な練習を付けてもら得るまで3年かかった。

私の心をとらえたのは、こん平師匠のこの言葉である。
「古典落語は、時流に乗っているもの、埋もれているものを掘り起して約200本を会得するのは当然。
更に新作落語100本を必死で作った。」・・・真打になるまで、一門の後見に認められるまでに。
さらに、所作、言葉の発声、話題の転換、機転等々に挑戦し続けたそうだ。
「新潟のコシヒカリ」、「カバンに多少の余裕があります。」もこん平師匠の言葉として定着した。

舞台がはねて楽屋を訪ねると、ステテコ姿で何回も会ってくれた。
まず、声の大きさに驚かされた。張りのある声で、楽屋に響き渡るように話しかけてくれた。

写真は、まだ本格的な練習を付けてもらう前の笠井光男である。でも希望に満ち溢れていた。

一門を背負う重責に堪えて、林家一門を三平師匠の遺児たちに立派に引き継いだ。

私山崎は、長岡高校に進み、剣道部に入ろうとしていた。剣道5段の父源次郎に憧れていた。
剣道部からも誘いがあり、ほぼ決めかけていた。父が反対した。頭を打たれると鼓膜を破れる。
たったそれだけの理由で反対した。解らなかったが、「勉強に専念せよ。」だったのだろう。
体格が良かったので、レスリング部に入った。バーベルや腕立て伏せ、腹筋で鍛えた。
最盛期には、60キロのバーベルを差し上げられるようになっていた。
写真の筋肉質は鍛錬の賜物である。

レスリングでは、当時東京オリンピックの強化選手阿部さんが浪花製菓に所属していた。
オリンピック選手を相手に練習ができた。だが、全く手も足も出なかった。実力の差は格段。
バックを取られると同時にホールに持ち込まれた。頑張る余裕もなかった。
この差を知ることで、実力とは、鍛練と精神力と自分自身の瞬発力だと思った。

中越地区で高校総合体育大会の交換練習があった。普段絶対に勝てない選手がいた。
県大会の優勝候補だった。3回練習したが完敗。歯が立たなかった。県大会で2回戦に合った。
作戦を立てた。真正面に行ったら絶対勝てない。3ラウウンド目の初めに首投げをかけた。
見事にホールに持ち込めた。高校の最期に県大会2位まで上がれた。
日ソ親善レスリング大会が長岡市の厚生会館で行われ、長岡高校が高校の部で出場した。
選手宣誓を命じられた。日報夕刊の半分を飾る写真が掲載された。遥かなる思い出である。

また大学進学をあきらめていたので、人生の試練に挑戦した。和同会会長に立候補した。
長岡の各中学校の動向も調べずに、たった5人の進学生しかいなかった千塚中から立った。
不思議なことに当選した。東大や一ツ橋に進学した優秀な副会長が補佐してくれた。
創立90周年記念式典と部活の遠征準備金をプールしておき、出場権を得た部に交付した。
大きな経費が捻出された。各部に一斉に配布して無駄になる部分が解消された。

良き友を得て、互いに励まし合った。長岡駅旅行センター所長の時、国鉄からJRに移行する記念行事に林家こん平師匠が一門を引き連れて馳せ参じてくれた。
お座敷列車にも落語で乗ってくれた。

















倫理法人会での講話について

平成26年6月16日に長岡市のアオーレで倫理法人会主催のセミナーがあった。

「未来創造セミナー」である。運営の精神に感動した。自分が起業するために、他人を犠牲にしないか、社会に役立つかが仕事をやる規範だと言われる。

河野滋氏の基調講演

その感動が冷めやらぬ間に、8月12日の朝6時から45分間の講演の依頼があった。テーマーは自由とのことで、「日本を元気にするために・・・温故知新の精神で」お受けした。日本は、終戦後の占領軍の占領政策とバブル崩壊時に二つの精神的な拠り所を失ったと思う。

一つは、日本古来の親を敬い、地域と協調する精神である。

もう一つは、バブル崩壊後の効率優先、低コスト優先の精神の普及で日本古来の精神構造が根本から否定され、協調や融和の精神が育ちにくくなっていることである。

8月12日午前6時から約45分間、長岡グランドホテル2階で講演のチャンスを頂いた。

長岡グランドホテルでの講演
大勢の方にお聞きいただいた。

道普請・・・過疎地での自然との闘い




今年は、小国町の千谷沢地区の山道普請の役員である。
5年位で当番が回ってくる。2時間かけて点検・検分をした。

山道普請のポイント。
① 道路を確保する。・・・路面の整備、両側の草刈り、側溝の維持管理。
② 水路を確保する。・・・法面の防護、貯まった土砂の除去
③ 土砂崩壊や、河川氾濫、河川の蛇行を修正する。等々
崩落した法面を削り、道路面を養生している事例

用水路を防護し、修繕した事例
用水路が1m以上浸食され崩壊寸前である。

ここ10年で田んぼが原野になった事例である。管理者不在。