広島の豪雨で思うこと





信濃川河岸段丘の豊かな自然・守り抜きたい環境。



















誰も自分を守ろうと生きている。
裏山が土砂崩壊するなんて思っていない。
むしろ、見晴らしがいい場所が手に入ったと喜んでいたはずだ。

最近の自然は恐ろしい変化を来していると思う。
夏に雹が降る。こぶし大の雹だ。何かおかしい。
豪雨も一年分が一晩で降られたら土砂崩壊もやむなし。
人知を超える何かが変わっている。
意外と温暖化が大きな原因なんじゃないだろうか。
偏西風がどうの、潮流の変化がどうのの理屈は分からない。
地球を汚したつけが、しっぺ返しをしてるんじゃないか。
そんな思いをさせられている。

国鉄本社にいたころ、仕事で全国を旅した。
いろんな河川で白い泡が舞っていた。魚も鳥も住めない環境だ。
背骨の曲がった魚や奇形の鳥の事例が報告された。
水戸周辺で美しい海岸の松原が枯れはじめていた。
河川の汚濁は排水規制や洗剤の改良で解消されつつある。
松食い虫の被害は、未だに衰えていない。
いまだに全国で食い尽くしを続けている。
目に見えないほどの線虫のいたずらだそうだ。
防虫剤を散布して自然破壊すれば生態系全般を破壊する。
 レイチェル・カーソンのサイレント・スプリング(沈黙の春)を
地で行くこととなる。
 有吉佐和子の複合汚染で指摘された身の回りの環境汚染を確実に取り除くことも大切な生存権だ。
 
二つの事例から自然との共生を図れば、克服できる面もある。
中国の排気ガス汚染のように、垂れ流しは困る。
地球は一つだ。逃げる場所がない。
皆で自然の大切さを真剣に考えなければならない。

広島の豪雨災害を人災というのは簡単だ。
だが、その裏にある原因を突き詰めなければ、災害は克服できないと思う。