自然との共生が無くなった。

根回り1m以上の楢の巨木が枯れて倒れていた。


藤の蔓が絡みつき、やがてこの木も枯れてゆく。光合成遮断。


絡みついた藤の蔓が残り、木は枯れてしまった。


木と藤の蔓とが戦っている風景


昔 山頂付近を開墾し、農薬を大量散布して大問題に。今は荒れ果てて




中学校を卒業してから、自宅周辺の山に入ったことはない。父源次郎が秋には、良くキノコを採ってきた。
それをヒントに雨で仕事ができないので薬師様の裏山に入ってみた。
大きな楢の木が、腐って倒れている。50年以上の経っていて、近くの山々は原生林に帰っている。
昔は、杉の枝も、雑木も家庭の燃料として大切だった。春先、雪が消えて新芽が出る前に「春樹山」が行われた。
文字は当て字だが、春に雑木を刈り倒し、夏近くまで乾燥させる。田んぼの仕事がひと段落したころ取り込んで
家庭の暖房用として使った。「ぼよ」と呼ばれたが、杉の枝にマッチで火を付け、ぼよを細かく折って、それに火を移す。火力が上がった時、薪を入れて本格的な炊飯に入った。
囲炉裏でも、そうだった。おじじが何時も囲炉裏の中心で、杉の枝や「ぼよ」や薪で火力を調整してくれた。
楽しいだんらんの場が囲炉裏でもあった。生活に役立つ山々だった。
要するに自然と人間の生活が密着していたのだ。山は人が管理し、道も整備されていた。
道普請も機能していた。今は利用の無い山道を非常時に対応するために整備している。
生活との接点は失われてしまった。
これだけの資源を眠らせ、巨大な経費をかけて石油を輸入している。それも大切だが、
里山を生き返らせる対策を考えなければならない。
間伐材を利用するには、材木を利用できなければ間伐材だけを生産するわけには行かない。
地方創生の中で具体的な構想を打ち立て、地域の自然との循環関係を取り戻すことが
大切だと考えさせられた。

冬囲いについて

  


             十日町市や小国町で一般的な樹木の冬囲い

手前の樹木が雪で埋もれる。奥の2本は3分の1雪の上になるが、
枝が折れないように縄で3か所以上、絞り込まないと折れてしまう。

長岡市小国町は、十日町に匹敵する豪雪地である。

雪が降るから樹木や、出入口、車庫等を雪に対して防護する。
公共施設でも雨板の設置、玄関口の防護や橋などの落雪予防等がある。
公共が行う分野は心配ないが、個人宅では高齢化の波が押し寄せている。
樹木の囲いは、はしごの移動、縄の手配、何と言っても、
高所で枝を絞り込みは、一人では難しい。
梯子にあがって、絞り込む場所に縄を固定し、樹木に縄を二回りさせないと
絞り込みは難しい。相方が、縄を下側で回してくれないと効率が上がらない。
安全面での危険が一杯である。梯子が樹木から滑って転落する。
縄を梯子の上で絞る時、縄が切れて転落したこともある。


組織的には、シルバー人材センターや生産組合が蓄えた技術を活用して
受託するサービスもある。農村部では敷地が広く宅地内に樹木が多いので
5万円以上の出費になることが多いと聞く。


少子高齢化で、冬囲いや雪おろし、道付けと言った日常生活が危機に瀕している。
我家は妻愛子が元気で手伝うから、楽しい秋の風物誌として取り組める。
梯子を持ち上げられなくなったり、高所が怖くなったら作業はできなくなる。
昔であれば、3世帯同居が当たり前であった。


親子での助け合いも、核家族化が進んだり、就職で住所を別にせざるを

得ない状況では、助け合う事さえできない状態である。

  


国道403号線の工事状況

国道403号線は、ほくほく線の十日町駅に通う時利用した。
最初の頃は、大貝から七曲りの曲がりくねった、先の見えない
山道を運転した。狸が片道で17匹も見られた1車線半の道だった。
大貝からのトンネルが開通し、七曲の難所は半分解消されたが、
大白倉の中の道幅は依然として解消されていなかった。
 
十日町の孫祝いで久しぶりに通った。
川西町のトンネルは開通して最後の仕上げ工事が行われていた。
今冬はどうか解らないが、大型車両が通れる道路の完成がまじかである。
国鉄本社に勤務していた時、夏休みに通った。
その時、一部の道路が完成していたことを思うと、一貫性の無い道路投資は、
無駄を生むことになる。投資に見合う利用を期待してやまない。

大規模な雪崩止柵の工事

巨大なナダレ防止柵である。

雪崩防止柵の工事

ボケましたがトンネルが完成した様です。

孫祝いについて・・・心がこもったお祝いだった。

十日町の妹夫婦から孫祝いの招待を受けた。
初めての行事でどう対応すればいいのかわからず戸惑った。
ネットで調べたら、結婚式並みの豪勢な宴席もあるらしい。
会費制のご案内があったが、倍のご祝儀を包ませて頂いた。
会場で驚いたことは、お嫁さんの両親や仲人さんは、
初孫に対する大きなお祝いの包みを用意しておられた。
 
宴席では、妹夫婦が主役で、息子夫婦と孫のお披露目があった。
料理は結婚式並み、お土産もついた豪勢なお祝いであった。
この席で、仲人役の方から、妹の結納の時、小国の私の父母が、
古式に乗っ取りご馳走を出してくれたとの話を聞いた。
私は、遠くで勤務していて知らなかったが、小国にも伝統的な
行事があったことを知った。
今は核家族化が進み、このような行事に合わないが、出席させて頂いて
少子高齢化の時代にこそ、大切な行事だと考えさせられた。
次の時代を引き継ぐ新しい子供たちの誕生こそ、過疎化を防止する
最期の手段である。
乾杯の挨拶を指名され、その趣旨をお話しさせて頂いた。
祝い唄では、詩吟「松竹梅」をお披露目させて頂いた。


 松竹梅     松口月城作
壽福いよいよ開く 松竹梅
君が家今日 これ蓬莱
瓶遊び 鶴舞い 人また酔う無限の歓懐 玉杯に在り
孫が主役で両親に抱かれて中央。妹夫婦が主催者
 




孫の父親として堂々のご挨拶・・・威厳があった。


料理は次々に運ばれ、十日町の味を堪能させてくれた。


越路町のもみじ園の歴史

越路町のもみじ園は、明治29年頃神谷の大地主、高橋家の別荘の庭園としてつくられた。 約4千平方メートルの敷地内には、樹齢150~200年のもみじや山桜、カエデ類、ツツジなど多くの植物が植えられている。最も多く植えられているイロハカエデは、北から九州地方の太平洋側に野生するモミジの一種で、高橋家が事業の活動の場であった京都から優れた品種を移植したものである。 平成元年に旧越路町が寄贈を受け、紅葉の時期には夜間のライトアップも行なっており、幻想的なもみじの様子を見ることができる。 11月8日に雪囲いをして、そのご褒美に、愛子ともみじ園に行くことにした。まず、ロケーションに感動した。つい先日訪問した松籟閣を眼下に見下ろせる位置にある。朝日酒造の迎賓館的な建物を樹木の間から全貌出来る。 明治時代、朝日酒造野平沢家や神谷の大地主高橋家、宮内の摂田屋の機那サフラン酒本舗の吉澤家が盛んな経済活動を展開し、この地域で立派な文化遺産を残している。 地方創生が叫ばれているが、地域に根ざした活動を展開し、地域の発展に寄与できる社会構造を作らないと、日本は個性の無い社会になってしまうと思う。地方創生に大きな方向性を指示していると強く感じた。


もみじ園の和室
京都から移植されたイロハカエデの数々