GALA湯沢スキー場時代の思い出

GALA湯沢スキー場時代の一コマ

国鉄の最期の頃、新潟支社総務部企画室の課長補佐から転出し、GALA湯沢スキー場を建設にかかわった。
東京で設立準備1年、現地湯沢で開業準備1年、開業後の営業で3年。約5年をGALA湯沢スキー場で過ごした。
音楽、芸術、味覚等の素養を持ち合わせぬ私であったが、BGの選定、jスキー場内の環境装飾、レストランを担当した。
キリンビールやサントリービールの本社の担当部門のアドバイスを受け従来のスキー場では考えられない味覚を提供できる体制を作り上げた。
リフト運賃、シャトルバス運行、トイレ関係の補給維持も担当した。まさにトイレット部長であった。